マヤパン
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マヤパン ☆☆☆
AD13世紀にチチェン・イツァーで反乱を起こした一部のイツァー人によって作られたマヤ最後の大規模都市
チチェン・イツァーを謀略によって衰退させマヤ低地北部を支配するようになったが15世紀中ごろに反乱によって衰退、その後はマヤには大規模な都市国家は現れなかった
スペイン人によって名づけられた「マヤ」の語源となったともいわれる
遺跡自体はコンパクトで比較的新しい年代に急ごしらえで作られたせいか特徴に欠けるとされるが修復の状態はよく、一部には石彫や色鮮やかなフレスコ画が残る(2015)