シルクロード、桂林、杭州、蘇州
このページの記述内容は1986年(第三紀)当時のもので、写真は当時のフィルムをスキャンしたものです
上海からシルクロードを西進して西安、敦煌、ウルムチ、カシュガルへ、当時は中国自体が外国人旅行者に開放され始めた時期で非開放の町が多く、西域で開放されていたのははウルムチ、カシュガル、トルファンのみ
その後引き返して桂林、蘇州、杭州へ
当時中国では外国人は中国人が使う紙幣人民幣(レンミンピー)とは別の紙幣(外匯、ワイフイ)を使わなければなりませんでした
外匯は同じ中国の通貨であるにもかかわらず外貨のような扱いで、一般人民には購入できなかったたテレビ等の贅沢品も買うことができたためお金持ちの中国人は外匯を欲しがり、外匯と人民幣の間にも闇両替の交換レートが存在する不思議な状況でした
時期的に春節(中国の新年)に行きあたり、戦後の復員列車はかくやと思われるような殺人的な列車での移動でしたが、なんといっても苦労したのが列車の切符
外国人は基本的には専用窓口で外国人料金で購入しなければならないのですが、そこは当時の(今も?)中国、あまり機能しておらず、駅の窓口に並べば格安の人民価格での購入のチャンスもありました
反面、それは圧倒的なパワーの中国人民群集との壮絶なチケット争奪戦に勝利しなければならないということでもあり、3日前に発売が開始されるチケットを求めて丸1日潰してしまうなんてことが普通でした
大きな地図を表示
上海 ☆☆☆
当時の上海国際空港は乗客は歩いて飛行機に乗り降りし、係官は滑走路を自転車で往来、入国審査も机一つといった状況
当時から思えば今の上海は別の国、いや別の惑星の都市のよう
西安 ☆☆☆☆
朝の通勤風景、映画館、三蔵法師ゆかりの大雁塔、小雁塔いずれも古色蒼然といった中、建て替え直後でまだ真新しい西安駅が異次元の建物
西安は当時でもさすがにその知名度から外国人を多く見かける国際観光都市だった
兵馬俑(秦の始皇帝陵) ☆☆☆☆
まるで体育館のような施設で遺跡を覆っている、もう忘れてしまったが確か撮影禁止だったような...
兵馬俑とはここ秦の始皇帝陵を指す固有名詞として使われることも多いが、もともとは兵馬をかたどった副葬品の一般名称
乾陵 ☆☆
西安の西にある唐の高宗と則天武后の陵墓、丘全体が広大な陵墓
酒泉 ☆☆☆
NHKの「シルクロード」で放送された有名な楼門があり、交通の要衝であった酒泉を彷彿とさせる文字が東西南北にかかげられている
東迎華嶽 東は華嶽(西安にある山)を迎え
南望祁連 南は祁連山(チベット高原)を望み
西達伊吾 西は伊吾(現在のハミ)に達し
北通砂漠 北は砂漠(ゴビ砂漠)に通ず
嘉峪関 ☆☆
万里の長城の一旦の西の果てとされ、その砦は「天下第一雄関」と称される
敦煌 ☆☆☆
敦煌と言えば世界的に名高い石窟を思い浮かべるが、実際の石窟は敦煌の町から25kmほど離れた場所にあり莫高窟(ばっこうくつ)と呼ばれる
莫高窟 ☆☆☆☆☆
鳴沙山の東の断崖に掘られた仏教の石窟寺院跡、その芸術性と学問的価値の高さからシルクロードの代名詞ともなっている
彩色された壁画や仏像等はエキゾチックで美しいが、過去、偶像崇拝を認めないイスラムの侵入により破壊されたものも多い
残念ながら内部は撮影禁止
カシュガル ☆☆☆
中国西端、キルギス国境に近いウィグル族の町
人々も習慣も食べ物もすべてが中央アジアのもので中国文化の香りはほとんどない、いや、なかった
中央政府の方針で漢民族の移入が進みこのウィグルの牙城でさえ漢民族が増えるとともに軋轢が生じ昨今では暴動も起きている、残念
トルファン ☆☆☆
天山山脈南麓の盆地の町、アジア大陸の真ん中にでチベット・ゴビの高原に挟まれているにも関わらず標高は海抜以下だという
砂漠のオアシスと言われるがイメージよりもずっと広大で、豊富な湧き水によって街中にも緑のあふれる潤いの感じられる町
それでも周りは砂漠、西遊記ゆかりの火炎山や郊外に点在する城址(故城)や古墳は荒々しい乾燥地帯のど真ん中にいることを思い出させる
少林寺(鄭州) ☆
立派なお寺で観光客も多いが特に...
桂林 ☆☆☆☆
石灰岩が水によって浸食されてできたカルスト地形が世界的に有名
桂林の町から漓江と呼ばれる川沿いに独特の景観が望める
陽朔 ☆☆☆☆
桂林から漓江を船で下って降り立つのが陽朔
「桂林山水甲天下、陽朔山水甲桂林」(桂林山水天下に甲たり、陽朔山水桂林に甲たり)と歌われるほどの景勝地
確かに開けた場所に奇岩が点在する桂林に比べ、陽朔は長閑な田園風景の中に見どころがコンパクトに凝縮されていて好ましく思える
蘇州 ☆☆☆
「上有天堂、下有蘇杭」(天に極楽あり、地に蘇州・杭州あり)とまで称される蘇州
水郷地帯にあり運河に囲まれ、漢詩「楓橋夜泊」で有名な楓橋、寒山寺のある町
優れた中国式庭園が多くあることでも知られ、中国四大名園のうち2つ(留園、拙攻園)も蘇州にある
日本の枯山水の源流とも言われる奇岩組みの庭園はしかし、日本人には馴染みにくい気がする
杭州 ☆☆
蘇杭のもう一方杭州、蘇州とは水路で結ばれおり船でも往来できる
町は古の美女西施にたとえられる西湖(人造湖)のほとりにあり、春霞のなか柳のなびく湖畔が印象的だった
西湖十景と呼ばれる景勝地もあるが、四季を通じてのものなので一度にコンプリートは無理
乗り物
飛行機
当時の上海国際空港は乗客は歩いて飛行機に乗り降りし、係官は滑走路を自転車で往来、入国審査も机一つ、まさに隔世の感
列車
春節時期の殺人的に込んだ列車
荷物棚はこの状況で通路は荷物を2段重ねくらいに置いていてその上に人
人を掻き分け掻き分け2号車の座席から11号車の車掌のところに行って帰ってくるだけで2時間
暑くて途中でアイス2個と袋入りオレンジジュースを買った、列車の外は河が凍っているというのに...
バス
左:西安のツアーバスが発車直後にファンベルトが切れ運転手自ら修理って...それになぜファンベルトの予備なんか持ってる?
右:路線バスのパンクも日常茶飯事でした
いや、四半世紀も前のことです
トローリーバス(上海)