Quinary - 第五紀

ペルー


このページの記述内容は1987年(第三紀)当時のもので、写真は当時のフィルムをスキャンしたものです
マチュ・ピチュおよびクスコ周辺の遺跡は『南米絶景2015』もご覧ください

周囲をぐるりと川がめぐる切り立った峰のうえに忽然と現れる脅威の遺跡マチュ・ピチュ、富士山よりも高いところにある琵琶湖の10倍以上もあるチチカカ湖、南北アメリカを縦貫する幹線道路のすぐ脇にあって逆に驚くナスカの地上絵、さらには実はアマゾン川の源流域でもあるペルー、いったいどれだけの顔を持っているのだろう

マチュ・ピチュは誰もが写真で見たことがあると思いますが、実物は...もっとスゴイ!

「一生に一度はマチュ・ピチュへ」


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クスコ ☆☆☆☆

標高3,600mと富士山の9合目と同じ高さの高地にあるインカ帝国の首都だった町
石畳や石組みの壁にインカ時代のなごりも残るものの、当時の構造物はスペイン植民地時代に破戒され、その上にスペイン様式の街並みが築かれている
マチュ・ピチュへの玄関口であるとともに郊外にはインカ時代の遺跡も多く残る
このページの記述は1987年(第三紀)当時のものです、2015年(第五紀)の記述は『南米絶景2015』をご覧ください


マチュ・ピチュ ☆☆☆☆☆

古(いにしえ)のインカ人(びと)よ
まほろばはたおやかに揺らめきて
永遠(とこしえ)のラピュタとなりしや

幼いころから夢にまで見たインカの空中都市マチュ・ピチュ
期待が大きすぎると実際に目の当たりにすると肩透かしを喰らうことも多いが、マチュ・ピチュは期待以上の迫力で天空に聳えていた
写真は小さいものを大きく豪華に写すことはできても、本当に大きなものの迫力を雰囲気そのまま伝えることは意外に苦手なのだと知りました
意外だったのは標高は2,200mと思ったよりも低かったこと、クスコからの列車はマチュ・ピチュに向けて「下って」行く
クスコよりも低い分だけ歩きやすく、気温も湿度も高め
このページの記述は1987年(第三紀)当時のものです、2015年(第五紀)の記述は『南米絶景2015』をご覧ください

アクア・カリエンテス(現 マチュ・ピチュ村) ☆☆

村の名前がマチュ・ピチュ村に変わったらしい
訪問当時はアクア・カリエンテ、温泉と言う名の駅の周りにほんの少しの建物がある町とも言えない小さな町
名前の通り温泉が湧いていてコンクリートの貯水池のような質素な温水プールがあった


ピサク ☆☆

クスコ郊外の遺跡の一つ
丘の上に遺跡が残りアンデネスと呼ばれる段々畑が見られる
休日には市場が開かれ近郷からのインディオでにぎわう


ティティカカ湖 ☆☆☆☆

4,000mという富士山よりも高い場所に琵琶湖の10倍以上の湖って...
ペルー・ボリビア国境にありここからボリビアへ出国
日本で取得したビザは1週間の滞在許可だったが、国境のイミグレーションで押されたハンコの擦り切れた文字は30日
多分30日のスタンプしかなかったのだと思う、それほど小さなイミグレーションだった


ナスカ ☆☆☆☆☆

えっ?こんなところに?あそこに見える線って車の轍じゃないの?
北米・南米の太平洋側を縦貫するパンアメリカンハイウェイが突っ切る乾燥した平原に謎の地上絵が点在
地面は固い土の大地で砕けた石が散らばり、地上絵は地面を掘るというよりも散らばった石をどかして模様を描いているといった感じ
物見やぐらのようなものもありますがやはりこれを見るには上空からでないとなにが描かれているかわかりません
劣化したフィルムをスキャンしていますので見られたものではありませんね(笑)、是非実物を!