ヨルダン
2013年11月にヨルダンを旅しました
ヨルダンにはイスラエルのエイラットから陸路で入国し、ペトラを見学したのちアンマン経由でエルサレム(イスラエル)へ出国しました
記事はペトラのみです
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ペトラ ☆☆☆☆
ヨルダンの乾燥地帯の峡谷にある石窟遺跡
古代からスパイス貿易の中継地として栄えたが、たどり着くには狭くうねった峡谷を抜けていかなければならず外界とは隔絶した地にあったため、12世紀以降は世界の表舞台から姿を消し19世紀にスイス人探検家によって発見されるまで現地以外では忘れられた存在であった
ペトラ内の移動は徒歩またはロバ、朝早く出発して最奥部のアド・ディルまで往復した後、犠牲神殿からカラード・トリクリニウムを回ったが、一日で回るのはそれなりにきつい
シーク ☆☆☆
ワディ・ムーサの町からペトラ遺跡に至る狭い峡谷
狭いところでは幅3〜4m、両側の崖の高さは80mもの砂岩の峡谷が1kmほど続き、両側には岩壁を削って水路が造られている
エル・ハズネ ☆☆☆☆
シークを抜けて最初に目に入る高さ43mのペトラを代表する石窟建造物、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で有名に
深い谷に掘られているため日が当たる時間は短いが薔薇色の岩に掘られており美しい
宝物殿とされるが用途は不明
墳墓 ☆
エル・ハズネからファサード通りと呼ばれる岩をくりぬいた建築物が続く回廊の左側にある石窟墓群
ローマ劇場 ☆☆
ファサード通りを抜けた左側の岩壁を削って造られたグレコ・ローマン様式の劇場
王家の墓 ☆☆☆
ローマ劇場を過ぎた右手の崖に掘られた建造物群
壺の墓、シルクの墓、コリントの墓、宮殿の墓と呼ばれる4つの建造物が連なり、やや離れてセクスティウス・フロレンティヌスの墓がある
墓と名付けられてはいるものの、セクスティウス・フロレンティヌスの墓以外は墓であるかどうか不明
列柱通り ☆☆
王家の墓からメインルートに戻り、道なりに進んだところにある列柱が整然と並ぶ大通り
大神殿 ☆☆☆
列柱通りの南側にあり、テメノスと呼ばれる広場とその上の神殿の二段からなる大規模な遺構
凱旋門 ☆☆
列柱通りの西端に立つローマ皇帝トラヤヌスの凱旋門
カスル・アル・ビント ☆☆
凱旋門の奥にある大きな建造物だが崩れかけており間近でには近づけない
ペトラ・チャーチ(ビザンチン教会) ☆☆
列柱通りの入口付近にある涸れ川にかかった橋を渡った丘の上にあり、保護のため屋根が架けられている
1990年に発見されるまで地中にあったため床に描かれたビザンチン時代のモザイク画が色鮮やかに残っている
有翼ライオンの神殿 ☆
大神殿から涸れ川を隔てた丘の上にあり、翼のあるライオンが掘られた円柱が見つかったことからこう呼ばれるが、見た目にはがれきの山
エド・ディル ☆☆☆
ペトラ最奥部に位置する神殿、エル・ハズネが薔薇色の崖に掘られているのに対しこちらは黄色く見える
ローマ帝国時代には修道院として使われていたことから修道院(Monastery)とも呼ばれる
犠牲祭壇 ☆☆☆
エル・ハズネとローマ劇場の中間から急な石段を登りつめた崖の上にある
ペトラで最も神聖とされる祭壇自体も興味深いがメインルートを真上から見下ろす眺望も抜群
オベリスク ☆☆
犠牲祭壇南側の高台の平らな岩場に高さ6mほどの2本の石柱(オベリスク)が立つ
石柱は建てられたものではなく山を削って掘り出されたものだという
ライオンのモニュメント ☆
犠牲祭壇から西側に下りていく途中の崖に彫られたライオン像
雨水の通り道として造られており浸食が激しい
庭墓 ☆☆
ライオンのモニュメントから谷底に下りてきたところにある大きな柱を持つ構造物
墓と呼ばれてはいるが実際のところは不明で、水利システムと関係があるとも考えられている
ローマ兵の墓 ☆☆
ファサードにローマ兵の像が彫られていることからこう呼ばれる
内部は洞窟のよう
カラード・トリクリニウム ☆☆☆
ペトラで唯一、内部に装飾がなされた構造物、マーブル模様の赤褐色の岩肌が美しい
トリクリニウムとは古代ローマのダイニングルームを意味する